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水戸地方裁判所 昭和35年(ワ)141号 判決 1964年3月30日

原告 豊崎松之輔

被告 阿部金平

主文

原告所有の茨城県東茨城郡美野里町張星字張星一五五番一五六番の一合併、郡村宅地六反三畝二四歩と被告所有の同所一五六番の一、宅地八六四坪との境界は、右両土地の南東道路上に設置してある東電北一三二号電柱(昭和三一年一月設置)の中心を基点として、この基点から北七一度三五分〇秒西、距離四一間二厘の地点をA点とし、A点から南七三度三三分〇秒東、距離二二間一分五厘の地点をB点とし、B点から北三四度五五分〇秒東、距離一間四分の地点をC点とし、C点から北一七度五分〇秒東、距離四間四分八厘の地点をD点とし、D点から北二一度五五分〇秒東、距離一五間六分七厘の地点をE点とし、E点から北二八度四〇分〇秒東、距離七間六分の地点をF点とし、F点から北二七度五五分〇秒東、距離六間三厘の地点をG点とし、右BCDEFGの各点をそれぞれ直線で連結した線であることを確定する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告

主文第一項記載の原被告各所有の両土地の境界は、同項記載の電柱の中心を基点とし、この基点から南八六度一六分二〇秒東、距離九間四分八厘の地点をイ点とし、イ点から北七五度五一分四〇秒西、距離二九間四分五厘の地点をロ点とし、ロ点から北二三度四六分二〇秒東、距離一三間三分七厘の地点をハ点とし、ハ点から北二二度二六分二〇秒東、距離二二間四分の地点をホ点とし(このハホの両点を結ぶ直線上に楠の木の中心がある)、右ロハホの各点をそれぞれ直線で連結した線であることを確定する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

主文のとおり。

第二、原告の主張

一、(一)主文第一項記載の茨城県東茨城郡美野里町張星字張星一五五番、一五六番の一合併郡村宅地六反三畝二四歩は原告の所有するものであり、(二)同じく同所一五六番の一宅地八六四坪は被告の所有するものである。

二、この(一)(二)の両土地の境界は、請求の趣旨記載のとおりであるが、被告はこれを争い、この境界をこえて便所を設けるなどしているので右境界がこの両土地の境界であることの確定を求める。

第三、被告の主張

原告主張の(一)(二)の両土地がそれぞれ原被告の所有であることは認めるが、この両土地の境界は原告主張の線ではなく、主文第一項記載の被告主張の線である。

第四、証拠<省略>

理由

第一、原告の主張する(一)(二)の両土地(以下それぞれ原告地、被告地と称する)が、それぞれ原被告の所有に属することは当事者間に争いがない。

第二、当裁判所は、本件にあらわれた一切の証拠を綜合して、この原告地と被告地との境界は、主文第一項に記載したように被告主張のとおりであると認めるのであるが、その理由は以下に述べるとおりである。

一、第二、三回検証の結果によると、被告が境界線として主張するEF線に沿い、これにほゞ接着して、古い板塀が設置されており、かつ、同じく被告主張のDE線上及びGF線上の一部にこれらの線にほゞ沿うて、青木を竹で結んだ柵が設けられていることが認められ、原被告各本人及び証人豊崎茂秀の各供述によると、この板塀は、昭和八年頃原告が建造したものであり、この竹柵は少なくとも、約三、四〇年前に作られ、その後原告の方で何度も結い直して今日に至つたものであることが認められる。ところで、右検証の結果によると、本件(一)(二)の両土地は、それぞれ原告及び被告の住家及び付属建物の敷地及びその内庭をなす宅地であることが明らかであつて、このような宅地相互の間の境界を定める場合には、古い塀ないし柵などの位置が、きわめて重要な手がかりとなるので右の塀ないし柵が、ほゞ被告主張の境界線と一致する線上にあるという事実は、被告の主張の正当性をうらづけるきわめて有力な資料ということができる。

これに対し、原告は、この地方の農家の慣習として、内庭の塀は、境界線より約一間内側に下げた位置に設置するのがふつうであると主張し、右検証の結果によると、原告主張の境界線は、ハホ線の中間付近で、この板塀から約一間前後西へ離れた位置を南北に走つていることが認められる。しかし、鑑定人菊池英雄の鑑定意見(第二回)によつても、この地方では、板塀や垣根をせいぜい五寸ないし一尺程度境界線から離してつくるしきたりはあるが、原告主張のように境界線から一間も離して設置するという慣習は存在しないことが認められ、この点に関する原告本人及び証人豊崎薫の供述は、いずれも格別の根拠を示さないもので採用できず(現に、原告本人の供述によつても、原告側では右の慣習があるために塀を下げたというのではないようである)、他に、本件を通じ、右の原告の主張を裏づけるに足りる証拠はない。

二、第二、三回検証の結果によると、被告主張の境界線のCDE線より西側(被告地側)約二米のところに、相当古い、周囲約三〇米の肥料舎及び畜舎の建物が存在し、また、同様にこのCDE線の西側約半米のところに周囲約五米の便所が存在すること、及び、この肥料舎の一部は、原告主張のロハ線にかゝつており、また、この便所は、同じくハホ線の線上にあることが、明らかである。そして、被告本人及び証人佐伯利助、同阿部徳太郎、同坂野重徳の各供述によると、これらの建物のうち、便所(その基礎はコンクリート造)は昭和一〇年頃に、肥料舎の部分(その下部は石造)はそれより以前に、また畜舎の部分は、昭和三一、二年頃に、それぞれ被告の家で建造したものであることが認められる。このように、古い、堅固な建物で、その位置からも明らかに被告の家の付属建物と考えられる建物が、いくつも被告主張の境界線の西側(被告地の側)に、しかも、原告主張の境界線にまたがつて建てられているという事実は被告の主張の正当性を裏づける重要な資料ということができる。

原告本人及び証人豊崎茂秀は、この点についても、この肥料舎や便所は、たまたま原告や原告の妻が入院している間に被告側で勝手に境界線を越えて建てゝしまつたものだと述べているけれども、同人らの供述自体からみても、原告側では、これらの建物を建築したことについて被告に対して抗議したことが全くなかつた事実が明らかであつて、もし、この建築が原告のいうように真に越境建築であつたとすれば、このような原告側の態度は理解に苦しむところといわざるを得ず、この点からみても、同人らのこの供述は到底採用することができない。このほか、本件を通じて、右の原告のいゝ分を裏づけるに足りる証拠はない。

三、第一、ないし第三回検証の結果ならびに証人坂野重徳、同磯部三郎、同保田英司、同阿部徳太郎及び被告本人の各供述を綜合すると、被告の家では、昭和一九年頃被告主張の境界線の西側(被告地側)の、原告主張の境界線上の(ロ)点のすぐそばの位置に生えていた楠の木を伐り倒し、その後被告主張の境界線のDE線上にほゞ位置し、従つて、明らかに原告主張の境界線の東側(原告地側)にある、欅の木を伐り倒し、更に昭和三四年頃には、前記板塀の西側に接着し、従つて、同様原告主張の境界線の東側にある欅の木を伐り倒したことがそれぞれ認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。そして、かように、明らかに原告主張の境界線上、もしくは、これより東側(原告地側)にある立木を被告側で伐採したのに対して、原告の方で何らかの異議を述べたという事実が本件を通じて全く認められないから、右の伐採の事実もまた、被告の主張の正当性をうらづける一資料とみなすことができる。もつとも、原告本人及び証人豊崎茂秀は、これらの木も、被告側が原告の知らないうちに伐つて終つたので、特に抗議しなかつたにすぎないと述べているが、前記坂野、磯部、保田、阿部各証人の供述によると、右の各立木は、いずれも相当の大きさの木で、これを伐り倒すには相当の時間と手間がかゝり、音などもしてかなり人目につくものと認められるから、その伐採に全く気づかなかつたという、右の原告らの供述は採用することができない。

四、本件で、原告側に有利な資料として、成立に争いのない甲第四号証(係争地の公図)によると、原告地と被告地との境界は、公図上、ほゞ南北の方向に走る完全な一直線をなすものとして記載されているが、前記菊池鑑定の結果(第一回)により明らかなように、原告主張のロハホの境界線は、ほゞ一直線をなしていて、この公図の記載と符合するのに反し、被告主張のBCDEFG線は全体としてはほゞ南北の方向に走つてはいるが、その途中で、ごく浅い角度ではあるけれども、何度か曲つているので、この点だけをとらえていうと、原告の主張する境界線の形状の方が、被告主張のそれより公図上の境界線の形状に類似していることが明らかである。

しかしながら、右の公図の記載との比較だけによつて、これまで挙げた諸事実ないし資料の存在にも拘らず、直ちに原告の主張を正当とみなすことは困難である。たしかに、境界確定訴訟のほんらいの目的は、公図上記載された境界線の所在を現地において見出すことにあるといつてもよいのであるから、境界に関する双方の主張の当否を判定するにあたつて、公図の記載との比較が重要な基準となることはいうまでもないけれども、当裁判所に明らかなところによると、一般に、公図は、もともと測量技術が未だ十分に発達していなかつたときに、一筆の土地ごとに測量して作成した図面をよせ集めてつくられたものであるため、各土地の関係位置などの点は大体において正確だとしても、各筆の土地相互間の境界線の細部の形状などについてはかなり大まかに記載されていて、必ずしもあてにならない場合も少なくないように思われるから、土地の現況その他境界の確定に当つて実際上重視される客観的な資料がいろいろ存在する場合に、たまたま一方の主張する境界線の形状が公図上の境界線の形状により類似するというだけで、他の資料を一切無視して直ちに一方の主張を正当とみなすことは、到底妥当といゝ難い。殊に、本件のような宅地相互間の境界の確定にあたつてはたとえば境界付近の堅固な建物や塀、雨水溝などの位置が、多年関係者が認めて来た両地の境界の所在を示す標識として、実際上きわめて重視されるのがふつうなのである。かような見地から見て、本件のごとく、前記一ないし三に判示したような塀、垣根、建物など、長年月にわたつて関係者によつて暗黙に認められて来た境界の所在をうかゞわせるに足りる。客観的な事物ないし資料がいくつも存在して被告の主張の正当性をうらづけていて、しかも、被告主張の境界線も、幾分曲つてはいても、ほゞ公図上の境界線と同一方向に走つていて、その形状において公図とそれほど甚しいくいちがいがないというような場合には、原告主張の境界線の、公図の記載との類似にも拘らず以上判示した一切の資料を綜合して、被告主張の境界線を正当と認める方が一般の通念ないし慣行とも合致するゆえんと考える(公図の記載と現況とが甚しくくいちがうような場合には、固有の境界確定訴訟では、公図を基準として判断し、現況の点は、所有権確認訴訟等における時効の主張の判断によつて別個に処理する方が筋が通るのかも知れないけれども、本件の程度の場合は、強いてそのように考えることは、紛争の解決として甚だ実際に合わないうえんなやり方というべきである)。

五、そのほかに、原告はその主張の境界線付近に原告側で植えたという立木などをいろいろあげて、原告の主張の正当性を裏づけようとしているが、この点に関する証人豊崎茂秀、同豊崎正則、同豊崎薫及び原告本人の各供述をみても、いずれも、随分前のことで、その記憶もさほどたしかでないように思われる上に、結局伝聞にすぎない部分も多く、一方、被告側にも、被告本人、証人阿部徳太郎、同保田英司など、境界付近の立木に関して、被告側に有利な同種の事実を述べる証人本人もあることなので、いずれにしても、この点に関する双方の供述だけからは、いずれの主張が正しいという決定的な証拠も得られないから、この点を根拠とする原告のいゝ分もまた採用できない。

そこで、前記一ないし三に判示した諸事実ないし資料にあわせて被告主張の境界線が真実の境界であることを裏づける、証人阿部徳太郎、同磯部三郎、同坂野重徳、同保田英司及び被告本人の各供述をも綜合すると、本件原告地と被告地との境界は被告主張の境界線に一致するものと認めることができる、この認定に反するように見える証人豊崎正則、同豊崎薫、同豊崎茂秀及び原告本人の各供述はいずれも、以上に判示した諸事実ないし資料に照らして採用できず、もしくは、この認定を左右するには足りないもので、そのほかに、本件を通じて、この認定をくつがえし、原告の主張を裏づけるに足りる証拠はない。

第三、結論

以上判示したとおりであるから、主文のとおり、被告主張の境界線をもつて、本件(一)(二)の両土地の境界と定めることゝし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田辺公二)

図<省略>

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